My Favolit SENNA'S Race

ここで俺の好きなセナのベストレース上位3つを書いておこう。但しリアルタイムで見ていた物に限る。
よって番外を1つ設けた。


第3位
1991年第2戦ブラジルグランプリ
このレースでセナは母国ブラジルで初優勝。その喜びは無線を通して叫びとして響き渡った。
表彰台での姿は当時スポンサーをしていた週刊少年ジャンプの表紙にもなっている。


第2位
1993年第3戦ヨーロッパグランプリ 雨のドニントンパーク
誰もが口にするセナの鬼神の走り。まさにグレイテスト・ラップである。
イリアム勢が優位の中なんとか4番グリットに位置し、雨の降る中決勝はスタート。
1コーナーで5位に落ちるがすぐにシューマッハ、ヴェンドリンガーを抜き返す。3位になったセナは
その追撃の手を緩めることなくヒルプロストを抜き去った。そしてオープニングラップを制し、
その差をぐんぐん広げ、優勝する。
この1ラップの走りを見るともう鳥肌が立つ。昨日の日記に書いたのはこのレースのことである。


番外
雨に強いセナはデビュー当時からかわらない。
1988年の鈴鹿。セナが勝てば初のワールドチャンピオン。
しかし、PPをとりながらスタート直後のエンジンストールで14位に後退。鈴鹿のストレートの
緩やかな傾斜に助けられ再始動。ここから追い上げが始まる。
28周目。トップを行くプロストをホームストレートで捉え鮮やかに抜き去る。この映像もみものである。
そして優勝してワールドチャンピオンのタイトルを手にする。
1988年のマクラーレンホンダMP4/4は本当に強かった。セナ8勝プロスト7勝。年間実に15勝である。


そして第1位
1992年第5戦 第50回モナコグランプリ
モナコグランプリ開催50回目の記念すべきレースは伝説となった。
イリアムズのマンセルは開幕からポールトゥフィニッシュで5連勝。前人未踏の記録をうち立てた。
対するセナは前年までモナコ4勝(3連覇中)。得意とするこのコースで一矢報いたいところである。


PPはもちろんマンセル。1分19秒台は当時のレコードである。フロントロウはマンセルとパトレーゼ。
セナは3位からスタート。レースはほぼかわらないまま終盤へ。そこへアクシデントなのかマンセルが突如
ピットイン。タイヤ関係のトラブルらしく交換して出る。しかし、コースインした時にはセナが前にいた。
ここからの残り7周のデッドヒートは見ているこちらも手に汗を握る展開。映像を何度も見てもアツい。
セナの駆るMP4/7はウイリアムズのマシンFW14Bに比べて非力であった。
しかし、このモナコではパワーだけで抜けるポイントは少ない。というか無いに等しい。
一度前に行かれたら抜くのは至難の技である。ましてや先を走るのはセナである。
マンセルの追い上げも激しくフレッシュタイヤでFL(ファステストラップ)を連発。実に1分21秒台を叩き出して
追走する。セナブロックの異名をとる巧いブロックでセナも抑える。テールを滑らせながらライン取りをする。
実際にはセナはレコードラインを大きくはずしたコース取りをしたわけではなく、
1本の線をすーっと描いているように走っている。セナの走りは美しかった。
マンセルは全てのコーナーにおいて果敢に攻めるがセナに阻まれ抜くことはできない。
両者相譲らずラップを消化しいよいよファイナルラップ
そしてセナは全身全霊を傾けて走ったこのレースに勝ち、この年初優勝。タイム差は0.215秒であった。



どのレースも映像で見るとその時の興奮が甦る。テキストで読むより写真を。写真より動画を。
忘れることのできない思い出のレースである・・・。
手元には1995年になってフジテレビで放送されたセナの特番「さらばアイルトンセナ、至上の愛を・・・」
がビデオにあり、DVDにダビングした。
今一度見直すとかなりアツい。88年のターボ時代の映像はリアルタイムで見ていないのでこれも貴重な映像である。
当時このモナコグランプリを見た翌日高校の友達と語った覚えがある。みんなも夢中だった。


その中心であったセナが亡くなって俺のF1の熱は徐々に冷めていった。あまり好きでないシューマッハの台頭により
時代が一気に変わってしまった。
毎戦見ていたレースも見のがしても、悔しくなくなりはじめて96年のシーズンを最後に見なくなった。
その後、開幕戦、モナコ鈴鹿くらいは見ているがF1熱が甦るようなことはもう無かった。